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東京地方裁判所 平成4年(ワ)12497号 判決 1996年3月25日

原告

シンハ・カマル

右訴訟代理人弁護士

村田敏

近藤義徳

被告

三菱電機株式会社

右代表者代表取締役

北岡隆

右訴訟代理人弁護士

滝川円珠

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、五八九万四八〇〇円及びこれに対する平成四年八月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

インド国籍でアメリカ合衆国に在住し、テネシー州立大学情報処理科助教授をしていた原告は、被告のシステムエンジニア採用募集に応募して採用されたものの、約束に反して日本語教育を施してもらえず、他の社員との差別的取扱いを受けたとして、債務不履行、不法行為(但し、予備的)に基づき、損害賠償を求めたのが本件事案である。

一  争いのない事実

1  雇用契約の締結

原告は、平成元年三月一六日、被告との間で雇用契約(以下「本件雇用契約」という)を締結した。

そこで、原告は、同年八月来日し、同年九月一日から被告のコンピータ製作所(但し、現在の名称は情報通信システム業務部)に勤務するようになった。

2  原告の担当職務

原告は、コンピュータ製作所コンピュータ方式統轄部機種方式課においてコンピュータシステムの開発・管理の業務を担当している。

二  争点

主位的には、被告に本件雇用契約上、原告の主張するような債務不履行が存したか否かであり、予備的には、被告の原告に対する不法行為の成否である。

(原告の主張)

1 主位的主張

(一) 本件雇用契約上の合意内容

原告は、本件雇用契約締結に際し、被告(但し、直接の交渉担当者は株式会社ミツビシ・エレクトロニクス・アメリカの川崎社長、以下「川崎社長」という)との間で、原告の第一次言語が英語であったことから業務遂行のうえで言語が障害とならないように(業務内容は日本語の能力が必要不可欠であった)、被告は原告に対し、日本語教育を施し、外国人社員と平等な取扱いをすること、日本人社員と比較して差別的な待遇をしないことの合意をした。

仮に、右合意が存しなかったとしても、被告は日本人社員及び外国人社員に対して語学教育を実施しているのであるから、憲法一四条の平等原則及び労働基準法三条の均等待遇の原則から右合意が成立したのと同様の義務を負っていた。

ところが、被告は原告に対し、右合意に反し、左のとおりの違約行為に及んでいる。

(二) 本件雇用契約上の債務不履行事実

(1) 社員教育に関する差別的取扱い

<1> 語学教育

被告は、日本人社員に対しては語学研修システムとして無償に近い低廉な対価で英語教育を施しており、かつ原告が雇用された後に雇用した白人の欧米系外国人に対しては無償で日本語教育を施した上勤務時間中に日本語の研修機会を与えているにもかかわらず、原告に対しては一切日本語教育を施さないばかりか、勤務時間中に日本語学習をすることの機会をも与えていないという差別的取扱いをしている。

<2> 業務教育

被告は、日本人従業員については勤務時間中に語学研修以外の被告の業務に有用なセミナーとか研修会参加に出席の機会を与えているにもかかわらず、原告に対しては右機会を与えていない。

(2) 処遇上の差別的ないし不利益取扱い

<1> コンピュータ製作所コンピュータ方式統轄部機種方式課課長小野修一(以下「小野課長」という)は原告に対し、平成元年九月ころから平成二年九月ころまでの間、原告が終身雇用者であることを知りながら、数回に亘り原告が臨時採用であると申し向け、原告が平成二年七月中旬ころ、年間業務経過報告書の業務予定欄に記載することについての相談をした際も原告が臨時採用であるから右記載は不要である旨を述べ、原告に暗に早期退社を促す嫌がらせをした。

<2> コンピュータ製作所コンピュータ方式統轄部部長澤井善彦(以下「澤井部長」という)は原告に対し、平成二年七月ころ、独身日本人社員にはアパートに入居することが認められないとして現在居住しているアパートからの退去を求めた。

<3> 被告は原告に対し、原告の担当業務はコンピュータの開発・管理であったところ、日本語を自由に駆使することができなかったにもかかわらず、日本語のコンピュータマニュアルを与えて日本語のシステム開発を担当させたのであり、入社当初から現在に至るまで定期的に行われるコンピュータ方式統轄部ないし同部機種方式グループのミーテングにも参加する機会を与えず、原告を邪魔者扱いし、原告を劣悪な就業環境下に置いている。

(三) 損害

(1) 二一万五四四〇円

但し、原告自ら日本語の学習をするために日本語教育機関に入学、通勤した費用

(2) 一二万九三六〇円

但し、独力で日本語を習得するために購入した書籍等の代金

(3) 五〇〇万円

但し、慰謝料相当額

(4) 五五万円

但し、弁護士費用

2 予備的(但し、不法行為)主張

被告は原告に対し、原告の雇用条件について国籍、社会的身分を理由として差別的な取扱いをしてはならないという労働基準法上の注意義務を負っていたにもかかわらず、業務遂行上最も重要かつ必要な言語について前述したとおりの差別的取扱いをなした。

原告は被告の右違法行為により深刻かつ重大な精神的苦痛を受けた。

したがって、被告は原告に対し、民法七〇九条または七一五条により前記と同額の損害金を支払う義務がある。

第三争点に対する判断

一  本件雇用契約締結に至る経緯

証拠(略)によると、本件雇用契約締結に至る経緯は次のとおりであることを認めることができる。

被告は、昭和六三年七月一〇日、コンピュータ事業拡大のための用員確保のために関連会社と共同で新聞紙上に情報通信分野に就業するシステムエンジニア(いわゆるSE)を募集する旨の求人広告を掲載したところ、原告と婚姻予定であると称する女性から原告が応募する意思を有する旨の申出でがあり、後日、原告作成の経歴書等が郵送されてきた。そこで、被告の募集担当者は、右女性に対し原告の経歴書の内容等につき確認をとったうえで、原告が米国に居住していたため、川崎社長に原告との面接を依頼し、この依頼を受けた川崎社長は、同年八月二六日、米国で原告と面接した。この際の面接内容は、原告の家族構成、被告に応募した動機、日本語能力、勤務条件についての希望、将来の生活設計等であり、この際、原告は、居住用住宅につき新婚用住宅の提供を希望した。

被告は、川崎社長から以上の面接内容の報告を受け、これを検討した結果原告を採用することとした。そこで、被告は原告に対し、川崎社長を通じて採用内定を通知し、原告は被告に対し、平成元年三月一六日、雇用契約書を提出した。

このようにして原告は、同年八月一四日、来日し、同月一七日、被告のコンピュータ製作所に右女性と共に来所し、澤井部長、小野課長らが面談し、同部長らは原告に得意分野等を質問したりし、この結果をふまえ被告は、原告をコンピュータ方式統轄部機種方式グループに配属することとし、原告は、同年九月一日から出勤することとなった。

二  本件雇用契約上の債務不履行の有無について

1  語学教育並びに外国人及び日本人社員との平等待遇について

(一) 語学教育について

原告は、被告は原告に対し日本語教育を施すことを約しておきながらこれを履行しなかったため、業務遂行のうえのみならず、あらゆる面で非常な困難を強いられたばかりか、澤井部長からは日本語学校で勉強するようにいわれたため自費で日本語学校で勉強をしなければならなかった等と供述する。

しかし、証拠(略)によると、原告と川崎社長との面接内容は前記認定したとおりであり、この際に、あるいはこの後の本件雇用契約締結に至るまでの間においても、また、本件雇用契約締結に際しても被告が原告に対し原告の主張するように日本語教育を施すことを約したことはなく、原告は、澤井部長らとの右面談においても日本語に関しては米国において勉強してきたし、自信もある旨を述べており、このようなことから澤井部長らも原告は今後の日本における日常生活をしていくなかで日本語を習得することができるようになるものと考えたことを認めることができ、原告の右供述は、右掲記の証拠と対比してにわかには信用することができず、他にこの点に関する原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

(二) 外国人社員との差別待遇について

原告は、白人の欧米系外国人社員との間で日本語教育、業務等の面で不当な差別を受けた旨を供述する。

しかし、証拠(略)によると、なるほど、被告は、白人の欧米系外国人社員に対しては日本語教育を施してはいるが、このことはこの社員が外国大学新卒採用であることと、二年間の有期の嘱託契約で採用していることを考慮して、日本語教育を施すことを雇用の条件としていることによるのであり、被告の費用負担で日本語教育を施すことを採用条件としているが、このことは限られた期間ではあるが被告において技術を習得してもらうとともに、日本語を習得してもらうことが被告にとっても国際化という観点からも価値あることと考えていることによるものであることを認めることができる。

以上認定したとおりであるから、採用形態や雇用条件の異なる原告と白人の欧米系外国人社員とで日本語教育に関して差が存したとしても何ら差別的取扱いになることはないというべきである。

そして、不当な差別を受けた旨の原告の右供述は、右掲記の証拠と対比してにわかには信用することができず、他にこの点に関する原告主張事実を認めるに足りる証拠もない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由ない。

(三) 日本人社員との差別待遇について

原告は、被告は日本人社員に対しては語学研修システムとしてほぼ無償の英語教育を施している旨主張するが、本件全証拠によるも被告が原告の主張するような語学研修システムを実施していことを認めるに足りる証拠はない。

原告は、被告は日本人社員に対しては格別の英語教育を施しているのに原告には日本語教育を施さないばかりか、勤務中の日本語の勉強の機会をも許さなかった差別的待遇をしているかのような供述をしている。

しかし、証拠(略)によると、なるほど、被告は、日本人社員のうちで海外留学、海外業務に従事させる場合に社員の経歴・能力・担当職務等を勘案して業務上の必要性に応じて英語教育を被告の負担において施しているが、被告が日本人社員に対し英語教育を被告の負担において施すのはこのような場合に限られるのであって、日本人社員全員に対し英語教育を施しているのではなく、コンピュータ製作所の研修部門において日本人社員のうちで英会話を希望する者に対して一か月八〇〇〇円の受講料を徴収して定時後に研修センターの教室を提供しているが、右徴収金は講師の支払に充てており、被告が費用負担をしているのではないことを認めることができる。

したがって、この点に関する原告の右供述は右掲記の証拠と対比してにわかには信用することができず、他にこの点に関する原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

2  処遇上の差別的・不利益取扱いについて

(一) 小野課長の早期退社を促す嫌がらせについて

原告は、小野課長から原告は臨時採用社員である旨を何回もいわれ、年間業務経過報告書に関する相談をしても臨時採用社員であるから何も書かなくてよい旨を述べられ、このようなことから早期退職を促されているものと受け取り、転職のことを考えると非常に困惑した旨を供述する。

しかし、証拠(略)によると、原告の右供述のうちでの年間業務報告書なるものは、自己申告書の誤りであるが、小野課長は、原告に仕事に関する計画性を養って貰う意味からも自己申告書を積極的に書かせるようにし、その内容を事細かに説明したうえで当該申告書を完成させていることを認めることができ、この点に関する原告の右供述は、右掲記の証拠と対比してにわかには信用することができず、他にこの点に関する原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

(二) 澤井部長の原告に対する居住アパートからの退去要求について

原告は、澤井部長から居住アパートを退去するよう要求され、非常に困惑した旨を供述する。

しかし、証拠(略)によると、被告は原告に対し、原告の希望に副った原告の勤務場所に近いアパートを提供してきたが、被告は、原告が婚姻する様子になかったことから原告に独身寮に転居してもらうべきであると考えていたものの、引越費用等の原告の負担を考慮して原告に転居を求めたりはせず、ましてや社宅の管理は総務課の所管事項であって、澤井部長が原告に対し社宅に関して退去を求めたりする立場になく、同部長が原告に対しアパートから退去することを求めたことはないことを認めることができ、原告のこの点に関する右供述は、右掲記の証拠と対比してにわかには信用することができず、他にこの点に関する原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

(三) 劣悪な就業下での処遇について

先ず、原告は、日本語を理解することができなかったのに、被告から日本語版のコンピュータマニュアルしか与えられず、小野課長らに英語版のマニュアルを与えてくれるように要求しても無視され、コンピュータ自体も英語で表示されるのを使用させられず、日本語で表示されるのを使用させられたので、努力をしたが操作することができず、上司に相談しても十分な説明を受けられなかった旨を供述する。

しかし、証拠(略)によると、次の事実を認めることができる。

被告は、原告が被告に勤務するようになってから原告の得意とする分野をいろいろな角度から検証したものの、これを見出すことができず、原告からも職務内容に関する格別の希望もなかったことから、原告にデータベースに関する分野の仕事を与えて育成していくという方針を立てた。このようなことから被告は原告に対し、IBM社製のオフコンであるAS/四〇〇を与え、製品開発そのものではなく、既に完成しているコンピュータシステムの性能評価、規格への適合度評価等のいわゆる評価業務を担当させ、このための業務命令も英語でなしたのであり、そして、右の評価結果も英語でレポートすることとなっていたのであって、そこで必要とされる日本語の知識はコンピュータに関する極一部の用語の理解があれば十分であり、また、原告の配置された職場は英語に堪能な者が多く、データベースに関しては極めて優秀で英語力のある従業員をして原告の指導に当らせてきた。原告に供与された右コンピュータのディスプレイ上の表示も基本的には英語であって、コンピュータマニュアルについても、コンピュータ言語は英語を基本にしていることから、一部は日本語で説明された部分はあったものの、本質的な部分は英語で説明されていた。

また、グループ内のリーダーを長とするミーテングにおいても必要な部分はその都度リーダーが英語で原告に説明するか、あるいはミーテングが終了した時点でその概要を原告に英語で説明しており、ミーテングそのものを出席者全員が英語でなしたこともあった。このようなことから、原告は、担当職務遂行の上において日本語の能力がなくとも英語力があれば格別支障は生じなかったのである。

以上の事実が認められるところ、原告は、被告が原告に対し処遇上差別的・不利益取扱いをしたことを縷々供述するが、これは前掲各証拠と対比してにわかには信用することができず、他にこの点に関する原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

三  不法行為の成否

以上に認定・判断したところから明らかなとおり、被告が原告に対し、原告の主張するような言語等の面で差別的取扱いをしたことを認めることができないのであるから、この点に関する原告の主張は理由がない。

四  結論

以上のとおりであるから、本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判官 林豊)

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